越前市の歴史について History
越前市の歴史について
越前市は、越前の国府がおかれ、
越前地方の中心地として栄えた歴史のあるまちです。
歴史x人物
- 大和時代…男大迹(おをど)の王が507年に即位して継体大王となった。
- 平安時代…紫式部が越前国守(国の大名)となった父・藤原為時とともに移り住み、約1年半を過ごした。
- 室町時代…室町幕府の管領・斯波(しば)氏との関わりが深い味真野で、越前守護・斯波義廉(しばよしかど)の子孫は鞍谷(くらたに)氏を名乗り、力をふるった。味真野は、「花筐(はながたみ)」の舞台となったところで、継体大王に関する伝説が多い。
- 戦国時代…絶大な力を誇っていた戦国大名・朝倉氏を滅ぼし、一向一揆を打ち破った織田信長は、府中を中心とした三郡、合わせて十万石を、不破光治(ふわみつはる)、佐々成政(さっさなりまさ)、前田利家(まえだとしいえ)に支配させた。この3人は府中三人衆と呼ばれ、協議制で領内を治めた。
- 江戸時代…関ヶ原の戦いの後、結城秀康(ゆうきひでやす)が福井藩主となった。家臣・本多富正(ほんだとみまさ)は家康の信頼を受け福井藩の付家老として秀康に従い、3万9千石の府中領主となった。
歴史x国の形
- 大和時代…敦賀から新潟あたりまでが「越の国」と呼ばれる 692年、越の国が越前(加賀・能登を含む)・越中・越後の三国に分割される
- 平安時代…823年、越前国から「加賀国」が分かれる、丹生郡から「今立郡」が分かれる
- 江戸時代…1625年、府中の町数18町、戸数884戸、1817年、府中の町数48町、戸数2,849戸
- 明治時代…1869年、府中を「武生」と改称。「武生」という名前は、古代民謡「催馬楽(さいばら)」によると、奈良・平安時代の越前国府は「たけふ(太介不)」と呼ばれていたので、古地名の「たけふ」に改め、武生と表したのである。
- 1889年、町村制により、武生町が誕生した。
- 昭和…1948年、武生町、神山村と合併し「武生市」が誕生する 人口31,743人。1950年、武生市、吉野・大虫・国高村を編入する。1951年、武生市、坂口村を編入する。1954年、武生市、王子保・北新庄・北日野村を編入する。1955年、南中山村と服間村、粟田部町に合併される。1956年、武生市、味真野村を編入 粟田部町を「今立町」に変更 岡本村、今立町に合併される。1959年、武生市、白山村を編入する。
- 平成…2005年、武生市と今立町が合併し、「越前市」となる。人口8万8千人。文化財の保有数が県下一となり、歴史と文化を誇る都市として発展を続けている。
歴史x文化財
- 昭和…1968年、越前和紙職人八代目岩野市兵衛が重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定される
- 1976年、越前和紙が国指定伝統的工芸品になる
- 1977年、旧谷口家住宅、城福寺庭園が重要文化財に指定される
- 1978年、大塩八幡宮「拝殿」が重要文化財に指定される
- 1979年、越前打刃物が刃物としては初の国指定伝統的工芸品になる
- 1984年、大滝神社下宮「本殿・拝殿」が重要文化財に指定される
- 平成…1994年、大虫神社「木造男神坐像」が重要文化財に指定される
- 1995年「越前万歳」が重要無形民俗文化財に指定される
- 2000年、越前和紙職人九代目岩野市兵衛が重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定される
- 2013年、越前箪笥が国指定伝統的工芸品になる
歴史x食
- おろしそば
1473年~朝倉氏が蕎麦の栽培を奨励して広めたが、当時は蕎麦がきなどにして食されていた。
1610年~府中(今の越前市)の領主としてやってきた本多富正が京都・伏見からそば職人の金子左衛門を連れてきて、城下の人々に戦や災害に備える食べものとしてそばの栽培をするように勧め、さらに健康面でプラスとなるように大根おろしと一緒に食べるそばを考えだしました。これが越前おろし蕎麦の始まりとされている。 - 中華そば
戦争後の即席ラーメンブームで「ラーメン」という呼び名が広まっていく中、越前市(特に武生市の駅前周辺)では「中華そば」という伝統の名前が使われて続けていました。それが今日まで続いたので、武生駅前では今でも「中華そば」という名前を使うそう。 - ボルガライス
今から30年以上前から地元の人に食べられていたソウルフード。しかしその名前の由来や発祥のお店についてはいくつもの説があり謎に包まれている。
ロシアにたまごを使った「ボルガ」という料理があり、同じたまごを使った料理ということで「ボルガライス」とした。
【名前の由来その2 イタリア地方説】
イタリアのボルガーナという地方で食べられていた料理に似ているということがから地方名をとり「ボルガライス」とした。
【名前の由来その3 ボルガ川連想説】
ボルガライスのオムライスの部分がロシアのボルガ川で、そこをわたるイカダがトンカツという見た目から連想して「ボルガライス」とした。
そのほかにもボストンライス説、ロシアの車「ボルガ」説、ボルガ店名説など様々な説が飛び交っている。